難しい哲学的な

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難しい哲学的な


日常のなにげない些細なことでも、難しい哲学的な思考や超現実的な幻想でも、何を素材にしても詩は書けると思う。
言葉を並べて、行変えをしていけば、それなりに詩の体裁は出来上がる。それは詩であるともいえるし、詩ではないともいえるだろう。五七五で言葉を並べれば俳句ができる、というものでもないのと同じだろう。眺めるだけのものであれば、それはそれでひとつの作品といえるかもしれない。

だが、言葉によって書かれる詩は、それぞれの言葉のもつ意味によって、なんらかの意味の伝達が行われることになる。あるいは意識的に意味を拒絶して、極力意味を伝えることを避ける場合もある。詩は散文とは違って、単に意味だけを伝えるものではないのだ。
特に現代詩といわれるものは、その傾向が強いので厄介だ。意味だけを求めて詩を読もうとすると、詩は途方もなく難解なものになってしまう。

最近の詩を読んでも、さっぱり何が書いてあるのか解らないことが多い。解ろうとするからいけないのかもしれない。感じればいいのかもしれない。だが、それも易しくはない。言葉の新しい可能性を追求するという、文学的な意義があることは認める。だが読めば読むほど、言葉に拒絶されているような空しさを感じてしまうのも事実だ。
私は不幸だとか、悲しいとか苦しいとか、そんな心情告白のような詩も読みたくないけれど、読めば読むほど拒まれてしまうような詩を読むのも苦痛だ。
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